2011年12月17日土曜日

金治潔さん逝去

 金治潔さんが亡くなり、12月17日の葬儀に参列した。大阪府立淀川工業高校(現・工科高校)の名物教師で、14日に逝去され、74歳だった。中国の文革末期の1976年から全国の高校生を集めて訪中団を結成し、20数回にわたって南京を中心に貧しい農村をまわって交流活動をかさねてきた。83年12月、私もいっしょに中国を回って以来のつきあいで、豪快な熱血教師だった。もういまの学校では、金治さんのような教師は見当たらない。合掌。
 

興味のある方はその活動を紹介した文章をお読みいただきたい。
「心の開国」というドラマ−劇場としてのアジア
 (「CELL」41号) 1997年6月

2011年6月25日土曜日

編集者、巌浩さんを囲んで。


伝説の編集者、巌浩さんを囲んで。


 今月の京都土曜サロンには、特別ゲストとして日本読書新聞の名編集長として知られる巌浩さん(85)を迎え、6月25日、開きました。会場はメンバーの数寄者、武田好史さんの自宅、「春庭居」。

「京都風流倶楽部」を主宰する武田さんが、本居宣長の息子、春庭の名にちなんで、あれこれ独特の「粋」をこらし、趣があるところだ。

 巌さんは、血盟団のこと、旧制七高の先輩だった四元義隆氏との出会いから軍隊生活のことを軽妙に語り、まるで落語、講談を聞いているようなようだった。
伝統と現代」の雑誌を発行し、月刊から隔月刊、季刊となり、借金に追われてしまったこと、禅寺、春日大社で寺男としての暮らし。

その人生の起伏の大きさに感嘆させられ、午後1時から7時すぎまでなんと6時間以上も談笑が続いた。ああ、愉快だった。

2011年6月8日水曜日

槌田劭さんの話を聞く会


槌田劭さんの話を聞く会


昨夜(6月8日)、京都・鴨川べりにある架場関大教授(社会学)宅で開かれた槌田劭さんの話を聞く会に出席しました。


槌田さんは、京都大学助教授(金属物理)のとき、伊方原発で原告側の証人にたち、40年来の反原発論者です。科学技術文明に対する疑問から京大をやめて京都精華大教員になり、使い捨て時代を考える会をつくってこられました。
この日のテーマは福島原発の現状から、科学技術文明のゆくえ、福島の生産者に寄り添うこと、私たちができることなどで、槌田さんに約3時間半、熱っぽく語ってもらいました。

2011年5月28日土曜日

京都土曜サロン


京都土曜サロン


28日は毎月恒例の京都土曜サロン。といっても雑談会にすぎないが、今回の会場は、同志社大学の寒梅館(学生会館)。三室勇、小笠原信夫、武田好史各氏のほか、今日は、武田氏の長年の友人、森美術館ジェネラルマネージャー高橋信也さんとアーティストの谷口創さんがゲスト参加。

上海に30回くらい通っているという高橋さんが7月に出版する本(平凡社新書)を話題に。抗日戦争のときの上海のヒロインについて新資料をもとに熱っぽく語りあう。このヒロインは、戦時中、成瀬巳喜男の映画「上海の月」で山田五十鈴が演じたという。おもしろそう。
 この日はもっぱら美術談義に花が咲き、学生会館内を4カ所も移動しながら、4時間近く語り合う。

2011年5月20日金曜日

佐藤優さんの吉野勉強会に参加。



奈良・吉野の佐藤優氏を囲む勉強会に参加しました。


テーマは、「3.11」以後の日本を考える、で、主催は雑誌「月刊日本」。

20日から22日まで。集まってきたのは、週刊金曜日の記者、出版社の編集者のほか、佐藤優さんのファンなど約40人です。佐藤さんの後輩の同志社大学神学部の学生のほか、元枚方市長や政治活動家など参加し、右だけではなく、左のほうの人までさまざまでした。
2泊3日、1講義約2時間から2時間半で、4コマ。新刊「3・11クライシス」、「日本国家の神髄」をテキストに実に密度の濃い、刺激的な内容だった。講義の内容は、近くまとめて緊急出版されるとのこと。

みなさんは「後醍醐天皇に呼ばれてここにきたのですよ」と語る佐藤さん。吉野の地と佐藤氏の話にひかれて私もはるばるここまできたのは、結局、そうなのかもしれない。
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講義の合間に、西行庵まで散策。青葉若葉の美しい5月の薫風を満喫した。だが、好天に恵まれた土曜日にもかかわらず、外国人観光客にはほとんど出会うこともなかった。ここも「東日本大震災」の影響で、さびしかった。