2018年10月26日金曜日

(いただいた本から)写真集「ひがた記」(太田順一著)

(いただいた本から)写真集「ひがた記」(太田順一著、海風社)

 大学時代の級友だった写真家、太田順一さんから送られてきた。1969年、早稲田のキャンバスで出会ったが、その後、彼は中退して写真家になっていた。それを知ったのは1980年ごろ、大阪の警察署でのある夜のことだった。私は新聞記者になり、彼はカメラマンとして再会したのだった。
 これまでも写真集も素晴らしいものだが、最近の写真からは人物が消えている。この写真集は、干潟のさまざまな表情を撮影したものだが、写真の力に驚嘆させらた。私は、少年時代を有明海の干潟で遊びながら育っただけに、写真の一つひとつに胸に迫るものがある。
 本の帯で、宗教学者の山折哲雄さんはこう書いている。
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ひがたは笑い ひがたは怒り ひがたは沈黙する
北斎は、波の切っ先まで描いたが、この写真集に登場する「ひがた」は、その奥の大地のドラマに迫ろうとしている。
泥と砂の交替、逆巻く波の底から湧き上る原始の地図、ときに小鳥や小魚たちが記号のように群れ舞い、「ひがた」の紋様と傷をいろどる。
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〇出版社の「内容紹介」から
関西国際空港にほど近い岸和田市の沖合につくられた実験調査用の干潟。 石で築いた堤のなかに土砂を流し込んだもので、小学校の運動場ぐらいの広さしかない。 いわば、人工物の干潟に二年間通いつめて撮影された写真の数は数千点にものぼる。 そのうちの120点が驚くほど様々な表情を見せている。 撮影に通いながら心に浮かんだエッセイ12篇も秀逸。

〇出版社の立ち読み案内から

小さな世界

 大学生だったころ、メッセージ性の強いジャン=リュック・ゴダールの映画を随分と見た。私だけでなく映画好きの若者の多くがそうであったように思う。一九七〇年前後という政治が突出した時代ならではだったのだろう。
 今の私なら、あんな観念的で退屈な映画など見ようとは思わない(ジーン・セバーグが初々しい「勝手にしやがれ」だけは別だけど)。でも当時の私は、各シーン各カットが意味するものは何なのかと、それこそ観念的に必死で考えながらスクリーンと向き合っていた。
 今でもそらんじているゴダールの言葉がある。何とも勇ましいアジテーションだが。
 「ブルジョワジーは自らの姿に似せて世界(イメージ)をつくる。同志諸君、我々はそのイメージを解体しなければならない」
 写真も社会の意識(イメージ)を形成するのに大きな役割を果たすメディアだ。しかし私は長年、ドキュメンタリーの分野で仕事をしてきたが、写真を「解体」のために使おうなんて考えたことは一度もない。写真は何かのための道具なんかではなく、それ自体が豊かで底の深いものだからだ。声高なものには、たとえそれが真実を語っているとしても、決して与(くみ)しまいと私は思い定めている。
 干潟で私が写しとめているのは生きものたちの小さな世界だ。人間界の逼迫した諸問題からは遠く離れているようにも見える。でも時々、こう感じたりする。本当はこの干潟のほうがとてつもなく大きな世界であって、私も人間界もちっぽけなものだ、と。

(3000円+税)

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