2021年8月9日月曜日

(いただいた本から)『「ありがとう」の構造-日本列島文化論』(とよだもとゆき著)

 『「ありがとう」の構造-日本列島文化論』(とよだもとゆき著)

  東京五輪2020は、国立競技場のビジョンに「ARIGATO(ありがとう)」の文字を浮かび上がらせて、閉幕しました。パンデミック下、複雑な思いで五輪競技を見ているうちに、勝った嬉し涙、負けた悔し涙、それまで支えてくれた人々への感謝の涙にくれる選手たちの姿に感動させられました。力の限り、懸命に自己表現したからこその涙ですが、勝者にも敗者にもともに「ありがとう」との感謝にあふれ、人間讃歌への思いにかられました。

 その「ありがとう」という言葉は、国・民族・宗教に関係なく、時代を超えて広く使われていますが、日本列島の人々がもっとも多く口にする「ありがとう(ありがたい)」という言葉には日本独特の思いがあるようです。直接的には相手への感謝やお礼を表しますが、そこには、自然、万物の存在への心情が込められ、「かたじけない」「すまない」「もったいない」などの言葉と通じる、日本列島独特の「存在観」を滲ませている、と著者は言い、古今東西の文学者、宗教家たちの思想を分析していきます。

 「ありがとう」ということばは、こころが歪んでいるときや、威張っているときには、決して口にはできないものです。また、すべてを自力でやり遂げていると思い込む自信家は、なかなか発しません。そして著者は、こう語っています。

 「ありがたい」とは、「いま・ここに存在する有り難さ」をもって「いま・ここに無い不在(死)を偲びつつ、「いま・ここに生きてある」希有を「ありがたい」と感じ受け止める、その都度のこころもちである。

 新型コロナウイルスのパンデミックを通して人間が自然の一部であり、社会も自然に負っていることを教えられました。同時に、日本の社会の在り方を足元から考えていくときにとても参考になる本です。

オンデマンド (ペーパーバック) ‏ : ‎ 286ページ。2200円

ISBN-10 ‏ : ‎ 480208028X

ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4802080286★ ★ ★

【出版紹介文から】

列島の人びとは「主体性がない」「空気に支配されている」と指摘される。要するに、「近代的主体」を確立できていない。これは西欧的「近代」からみれば「負性」である。しかし今日求められる「脱近代」への道行きでは、アドバンテージとなる。

「持続可能な(Sustainable)」を掲げざるをえないほど行き詰まる西欧的「近代」を相対化できるのは、列島の存在観である。

地域・民族の文化を規定するのは、「ある」ということ(存在)の受けとめ方である。欧米と日本列島では、その「存在観」がまったく異なる。違いは、最先端テクノロジー(AI)の世界も反映されるほどだ。

世界的にみれば希有な日本列島の存在観に、今こそ光をあてる。手がかりは、私たちが日々の生活でもっとも多く使う言葉、「ありがとう」(有り難い)や「すみません」(済まない)の言葉に潜んでいる。――古今東西の存在観を通じた、画期的日本列島文化論。

The Structure of Arigato

【目次】

はじめに

<Ⅰ部「ありがとう」の構造>

(1)「ありがとう」の世界

もっとも多く使われる言葉

「ありがとう」の組み立てと歴史

(2)「ある」―西欧と列島の違い

つくられた「ある」 なりなりて「ある」

「ある」を支配する「人間絶対主義」の誕生


(3)「かたじけない」「すまない」「もったいない」

「かたじけない」「もったいない」

「すまない」と「負い」

「負い」を忘れた人間は


(4)「負い」のかたち

本居宣長の「あわれ」と「情(こころ)」

親鸞が受けとめた「存在の光」

石川啄木の人生の「負債(おいめ)」

太宰治の「はにかみ」

<Ⅱ部 列島文化の負性>

(5)カミから神へ

カミの語源

災厄が「たたり」となるとき

(6)存在の召しあげ

「宗教的」か「無宗教的」か

生成の掌握

存在の召しあげ

「鮮やかな転換」と「所を得る」

<Ⅲ部 「ありがたい」の力 ~脱近代への道~>

(7)近代の主役「科学と経済」への疑い

拷問で口を割らせる科学

ケインズとマルクスの近代的限界(二段階論)

(8)近代の二項対立を超えて

二人のノーベル文学賞作家 川端康成と大江健三郎

保守と革新という同床異夢

生産と消費の止揚 「労働」から「感く」へ

(9)「近代的主体を確立できない」というアドバンテージ

OSとしての「列島の存在観」

「われわれ日本人のできる仕事」

【著者紹介】

1947年、東京都に生まれる。早稲田大学第一文学部人文専修卒業(在学中、全共闘運動の波を被る中で、「近代との対峙」が思想的テーマとして浮上する)。2 つ目の出版社で労働争議が勃発。泥沼の10 年争議となる。

以降は出版界から外れ、黎明期を迎えたパソコン系分野の職場を転々とする。創業間もない日本ソフトバンク出版部(現SB クリエイティブ)では、コンピュータゲーム情報誌「Beep」(1984 年末創刊)初代編集長等を務める。2000 年からしばらくは、シニア向サイト「Slownet」(京都)の初代編集長。京の仮住まい生活を通じて、古都(和風)の奥深さの一端に触れる。現在はフリーで執筆・編集活動。取材を請け負い、全国各地を訪ねる。

主な著書に、『吉本隆明と「二つの敗戦」 [新装増補版]』(2020 年)、『青春えれじい 解放区篇』(2019 年)、『労働止揚論』(2018 年)、『村上春樹と小阪修平の1968 年』(2009 年)、『ほっこり京都時間』(2005 年)など。ほかに深海遙名で『村上春樹の歌』(1990 年)、『ユーミンの吐息』(1989 年)など。