2016年2月12日金曜日

ゼロ戦の機体の軽量化した五十嵐勇博士が親戚だって!

ゼロ戦の機体の軽量化した五十嵐勇博士が親戚だって!

 このほど熊本に帰省した時、いとこから
「五十嵐勇博士って、親戚よ。知らんかったと!」
と言われてしまった。
 そういえば、ずっと前に家系図を作成しようとしたとき、そんな名前があったけど、ゼロ戦にちなんだ熊本県の有名人だとは気が付かなかった。
 調べてみると、こう書かれてある。へえ、そうなんだ。ちょっとした驚き!!
  だからって、どうだということもないが、ただ記憶に留めたい。

五十嵐勇(いがらし・いさむ)
1892-1986 昭和時代の金属工学者。

 明治25年1月18日生まれ。昭和13年住友金属工業伸銅所(現住友軽金属工業)で軽量高強度の「超々ジュラルミン」を発明。日本海軍の「ゼロ戦(零(れい)式艦上戦闘機)」をはじめ航空機の機体材料に活用された。戦後,東北大などの教授を歴任。昭和61年3月7日死去。94歳。熊本県出身。京都帝大卒。                 (デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

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  宮崎駿監督の長編アニメーション『風立ちぬ』(2013年公開)は、零式艦上戦闘機(零戦)の設計主務者・堀越二郎の挑戦と苦悩を描いた物語だ。『風立ちぬ』にはジュラルミンボディの戦闘機が登場する。堀越二郎は、技術者であることと、戦争で人を殺す事になる兵器を作ることの中、葛藤を抱く。しかし、ただ純粋に技術者として高。性能戦闘機を作り続けた映画の中で、部品が木箱に大切に梱包されて届くシーンがある。

  この部品に使われたのが、当時のジュラルミン強度を凌駕した「超超ジュラルミン(ESD)」だ。ESDは1936年に住友金属工業株式会社の軽金属研究陣に所属していた五十嵐勇博士らが海軍航空技術廠の要請で開発したジュラルミン。負荷がかかる主翼主桁の材料として使用するため「軽くて強い」という矛盾した金属素材を求めていた堀越にとって、ESDは零戦の完成に必要なものだった。

 堀越は翼の中央部にESDの押出形材を使用し、機体の軽量化と強度確保を実現した零戦は、連合軍にとって非常に厄介な存在だったようだ。「ゼロファイター」の名で恐れられた。

 なぜ零戦は恐れられたのか。それは速さと飛行距離だ。ジュラルミンを採用した結果、大幅な軽量化に成功した零戦の自重は1.68トン。同時期に戦ったアメリカ軍のカーチスP40、グラマンF4Fよりも1トンも軽い。この結果抜群の上昇力を誇り、最大飛行距離は3000キロに及んだ。一時は「雷雲とゼロに遭遇した場合は、回避行動を認める」とアメリカ軍が通達したという。

 日本の敗戦によって戦争が終わり、日本軍はすべての戦闘機を手放すこととなった。しかし、今もなお五十嵐博士が開発したESDは世界中の航空宇宙分野に貢献している。

(アルミの話 戦後70年の時を経てさらなる新しい時代を作るアルミ合金)
http://www.aluminum.or.jp/publication/alumi-age/pdf/180/18004.pdf

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