三井三池出身の画家、江上茂雄さんの展覧会「江上茂雄風景日記」(5月26日から7月8日、武蔵野市吉祥寺美術館)のご案内
知人から江上さんの展覧会の案内パンフと招待券が送られてきた。
私の郷土の荒尾にこのような画家がおられるとは知らなかった。どうして東京・吉祥寺なのだろうか。
三池炭鉱でにぎわった大牟田・荒尾地区には、ユニークな人たちがたくさん暮らしていた、と改めて思い知らされた。
パンフの紹介によると
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1912(明治45)年に福岡県山門郡瀬高町(現在の福岡県みやま市)に生まれた江上茂雄は、幼い頃から突出した絵画技量を発揮しながらも、12歳になる年に父を亡くすという家庭環境のもと専門教育課程への進学は望まれず、高等小学校卒業後15歳で三井三池鉱業所建築設計課に就職する。
以後、会社勤めの収入により母・妻と4人の子の生活を支えるかたわら、「画家として生きる」という少年時代の決意を貫き、独学でクレパスークレヨンによる表現を極めていく。
1972(昭和47)年の定年退職後は、それまで暮らした大牟田から隣接する熊本県・荒尾に転居し、度重なる眼病や脳血栓を克服後、1979(昭和54)年から2009(平成21)年頃までの約30年もの間、正月と台風の日を除く毎日、水彩画の道具を担ぎ徒歩で自宅を出発し、その日の制作地を探し当て、1日1枚、戸外で写生による風景画を仕上げるという生活を続けた。
そして、2014(平成26)年2月、2万点以上に及ぶ絵を荒尾の自宅に残し、101歳でその生涯を閉じた。
遠く離れた場所で芽吹く美術の最新動向を常に意識しながらも、自分が生まれた土地を離れることなく、誰に教えを乞うこともせずに、制作者としての己と向き合い続けた江上茂雄。約400点の作品により都内で初めてこの大を紹介する本展では、とりわけ、江上が青年期から描き続けた大牟田周辺、そして定年後に毎日描いた荒尾の《風景画》に焦点を当てている。
それらは、日々、そばに寄り添う自然と対話し続けた江上の足あとをたどるものであり、土地の人々が「路傍の画家」・江上茂雄を目撃した場と時の記録であり、さらには、絵の前に立つ誰かが、自らの過去の記憶に触れずにはいられなくなる風景でもある。
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