2016年7月26日火曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]大津―加賀。

大津市の拾井さん宅から「お米を持っていけ」といわれ、食料を補給しながら、琵琶湖の西岸を走り、北陸路へ。

途中、鯖江市にある福井高専にも立ち寄る。
といって、校門にある守衛室で印を押してもらっただけのこと。























確かこの日の夜は、石川県加賀市内の駐在所の近くの路地で野宿した。

2016年7月25日月曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]茨木―大津。


茨木をでて、京都御所で中学時代の級友、松高清くんと会う。松高くんは、中学卒業とともに松下電器産業の社員養成機関「松下工学院」に入社。学業と技術習得とラグビーに打ち込んでいた。

















京都から大津に向かい、琵琶湖のほとりにたどりつく。
ほんやりと夕日を眺めながら、野宿先をさがしているとき、人のよさそうなおばさんに声をかけられる。
「どこからきたん?」
「九州の熊本からです」
「どこに泊まるの?」
「まだきめてません」
「ほな、うちとこに来たら?」
と近くの農家に連れていかれた。
見知らぬ人間に気さくに声をかけ、自宅に泊めるなんて・・当時は本当にいい時代だった、と思う。

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大津市下坂本町川崎
拾井与太郎さん
   たま  さん
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そこの息子さんが、大津商業の野球選手として甲子園出場を果たし、その額が飾ってあったのを思い出す。
また、その翌年の夏だったか、別の息子、国正さんが、私に刺激されたのか、サイクリングで熊本の自宅に訪ねてくれた。

2016年7月24日日曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]茨木市

大阪府茨木市に住む従兄の池田徳星さん宅にたどり着く。
 九州熊本・荒尾を出発して5日目。

 やっとまともな食事にありつけた。

 当時、徳星さんは、建設会社間組(現ハザマ)に勤務して、会社の社宅住まいだったが、歓迎してくれた。
 長女は知子さん、長男は隆安さんと、なぜかわたしの名前の一文字ずつをとっていたので、特別の親しみがわいたことを思い出す。

 朝のテレビから「おはなはん」の音楽がながれていた。おはなはん役の樫山文枝の清楚でかわいらしい姿にあこがれた。



2016年7月23日土曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]姫路―茨木。

姫路城前にて。

当時のメモ帳によると、

サイクリングで顔を合わせたのは、
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所沢市上新井453の2
森田正雄さん
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とある。
 記憶は不鮮明だ。

さらに姫路から大阪に向かう途中に
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大牟田市馬渡町14
宮崎正美さん
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にも世話になったようだ。




2016年7月22日金曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]西条―姫路


○コーラ記念日

山陽道を走っているとき、コカ・コーラの配送車の運転手に「がんばれよ」と声をかけられ、コーラをご馳走になる。
コーラを飲むのは生まれてだった。うがい薬を炭酸で割った妙な飲み物で、おいしいとは少しもおもわなかった。

ということで、この日は私のコーラ記念日。

コーラの発売について調べてみると、日本コカ・コーラによれば、

日本で初めて「コカ・コーラ」が販売されたのはいつですか?

大正3年(1914年)に出版された詩人・高村光太郎の処女詩集<道程>のある作品には、早くも「コカ・コーラ」の名が見られます。しかし、日本で「コカ・コーラ」の製造販売が本格的に始まったのは昭和36年(1961年)のことです。
ということで、私が飲んだのは日本で発売されて5年後のことでした。


○後楽園にて

















○姫路にて

中学時代の友人、山村保文君が姫路市の飾磨の仕事先を訪ねたと思う。

2016年7月21日木曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]徳山―西条(広島)。

岩国・錦帯橋にて








広島・平和記念公園にて。

別々に自転車の旅をしていた有明高専の同級生、石田帝力君と広島の慰霊碑の前でばったり。

「ヒロシマ」についての問題意識は薄いまま、単なる「名所」として立ち寄っただけだった。

原爆資料館を見学したあと、ひたすらペダルを漕ぎ、西条市内で野宿。

(備考)
その後、ヒロシマと向き合ったのは、1985年夏、毎日新聞社会部の核問題取材班に加わってから。
そのときの連載記事は
「非核の旅」
http://ikedatomotaka.main.jp/swfu/d/genbaku1983.pdf

毎日新聞社説「原爆の日」を3,4回執筆。

野宿して食事。当時は、コンビニなんてものはなく、いつもインスタントラーメンをすすっていた。


2016年7月20日水曜日

[50年前の今日。日本一周自転車旅行途上で]北九州―徳山泊。

50年前の今日。徳山泊。

熊本県荒尾市の自宅をでて、2日目でもう山口県徳山市まできている。あらためてその若い馬力に自分のことながら驚かされる。

事前に徳山市の教育委員会あてに往復はがきで、自転車の旅の途中、徳山市の学校の宿直室に泊めていただけないか、と問い合わせていた。

その前年の西日本一周の自転車の旅では、飛び込みで学校の宿直室に泊めてもらっていたので、あつかましいが、ダメ元で頼んでみたのだった。

ところが、徳山市教育委員会から親切に宿泊先を提供するとの返事があった。頼むほうも、無鉄砲で、身勝手なものだが、それに応えるほうも応えるほうだと思う。鷹揚というか、あっさりと受け入れてくれたのである。いまの時代では考えられないような、心優しい対応だった。

実際に徳山市についてみると、これまたびっくり。宿泊先として、なんと文化財級の公民館を用意してあったのだ。
管理人は、結婚したばかりの若いご夫婦(たしか藤井さんといったかな)だった。

おお、なんという親切さだ と感激しっ放し。そのときから、日本という国は捨てたものじゃない、と楽観的な社会観がみについたのかもしれない。