岩国・錦帯橋にて
広島・平和記念公園にて。
別々に自転車の旅をしていた有明高専の同級生、石田帝力君と広島の慰霊碑の前でばったり。
「ヒロシマ」についての問題意識は薄いまま、単なる「名所」として立ち寄っただけだった。
原爆資料館を見学したあと、ひたすらペダルを漕ぎ、西条市内で野宿。
(備考)
その後、ヒロシマと向き合ったのは、1985年夏、毎日新聞社会部の核問題取材班に加わってから。
そのときの連載記事は
「非核の旅」
http://ikedatomotaka.main.jp/swfu/d/genbaku1983.pdf
毎日新聞社説「原爆の日」を3,4回執筆。
野宿して食事。当時は、コンビニなんてものはなく、いつもインスタントラーメンをすすっていた。
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