2018年9月21日金曜日

(いただいた本から)今村欣史著「触媒のうたー宮崎修二朗翁の文学史秘話」

今村欣史著「触媒のうたー宮崎修二朗翁の文学史秘話」

 神戸新聞の記者として兵庫県の文学界を中心に活躍されてこられた宮崎修二朗氏の貴重な証言を記録した文学談義を収めている。昭和33年に「のじぎく文庫」という異色の地域密着型の出版機関を立ち上げたほか、民俗学者・柳田国男氏の自叙伝を口述筆記されたり、足立巻一氏や田辺聖子氏など多くの文人と交流を持ってこられた宮崎翁は、文人と文人、文人と社会、文人と読者との間をつなぎ、そこに幾多の化学反応を起こした「触媒」だった。
 そんな宮崎翁と出会った今村氏は宮崎翁の言葉を「うた」として記録し、表現している。宮崎翁の人間的な魅力に惹かれた文人達たちの秘話の数々。今村氏は熱い思いで受け止め、文学史の貴重な記録として歴史に刻んでいる。心温まる書である。

神戸新聞総合出版センター刊
定価 1800円+税

2018年8月13日月曜日

(いただいた本から)「大阪万博が日本の都市を変えた」吉村元男著

「大阪万博が日本の都市を変えた:工業文明の功罪と「輝く森」の誕生 」
吉村元男 (著)

内容紹介
1970年、歴史が動く瞬間——
万博開催後、緑の再生をめざした意義を歴史の中に位置づけ、捉えなおす試み。

1970年、大阪万博。その開催のために切り開かれ、更地となった会場の跡地が森に生まれ変わるという奇跡は、いかにして可能になったのか。本書は、万国博覧会や都市における公園の歩みを通じて、今までの日本と世界の歴史を振り返り、これからの文明の姿を模索するものである。
持続可能な生物多様性社会に向けた公園・都市・文明のあり方を、大阪万博および万博公園の計画に携わった環境プランナーである著者が、これまでの総括とともに提言する。

[主な目次]
まえがき——大阪万博から万博の森へ
第I部 大阪万博以前
第1章 日本は、万国博覧会とどうかかわったのか
第2章 内国博覧会から始まった万国博覧会
第3章 幻に終わった戦前の万国博覧会
第4章 アジア初の万国博覧会——大阪万博開催
第5章 万博会場の設計思想
第II部 大阪万博以後
第6章 「人と自然の新しい関係の再建」をめざした都市公園への転換
第7章 国立民族学博物館の誕生
第8章 太陽の塔は、残った
第9章 地球環境時代の新種の公園
第10章 巨大都市の功罪
第11章 2070年の万博公園の未来に向けて
参考文献
あとがき——都市の中に、森をつくるということ

2018年8月10日金曜日

(いただいた本から)炭鉱町に咲いた原貢野球ー三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡

炭鉱町に咲いた原貢野球ー三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡
澤宮優著、集英社文庫

 私が高専2年生の夏。大牟田の町が喜びに湧き上がった光景を覚えている。地方の公立学校に通う地元の高校生たちによる優勝は、久しく見ることはなくなった。
筆者の澤宮さんは熊本県出身で約20年前からの友人で、たくさんのノンフィクション作品を執筆している。
  これを読んで、阪神の眞弓明信選手も大牟田出身だったことを知りました。

本の紹介文から
三池工業高校野球部監督・原貢氏。球界のエース菅野智之投手の祖父であり、元WBC日本代表監督の原辰徳氏の父である。1965年、伝説の甲子園初出場、初優勝に迫るノンフィクション。(解説/江刺昭子)


内容(「BOOK」データベースより)
1965年、夏の甲子園。炭鉱町・大牟田の三池工業高校が、初出場・初優勝を成し遂げた。栄光へと導いた監督は、原貢。巨人軍の四番打者を務めた原辰徳の父で、球界のエース菅野智之の祖父にあたる。その快挙は、三池闘争や粉塵爆発事故に打ちひしがれていた町を大きく熱狂させた。語り継がれる厳しい指導法や、当時の常識を覆す戦術、今も色褪せないドラマを緻密な取材で追ったノンフィクション。

2018年7月22日日曜日

(いただいた本から)『原爆の世紀を生きて ―爆心地(グラウンド・ゼロ)からの出発―』( 米澤鐡志 著)

(いただいた本から)『原爆の世紀を生きて―爆心地(グラウンド・ゼロ)からの出発―』米澤鐡志 著 224頁   定価 本体1400円+税

2018年8月6日発行


本の帯には
「核なき世界への直言!
グラウンド・ゼロの手前750メートルで
被爆した少年が生き抜いた、
激動の戦後社会史。
リベラル市民運動家の、父子相克の自伝。」

とあります。
満員電車のなかで被爆するという体験をもとに、平和への願いを込めて一筋の道をあるいてきた人の誠実な記録です。

【本書の構成】
Ⅰ 戦争中の生活と原子爆弾
Ⅱ 戦後の広島の街で
Ⅲ 峠三吉をめぐって
Ⅳ 京都に移住―学生運動に没頭
Ⅴ 医療の現場で
Ⅵ 父・米澤進のこと
Ⅶ 平和を求めて
Ⅷ 3・11以後―「老後」を反戦平和にかける

<報告>医療汚職の伏魔殿、厚生省
―官・産・医の癒着が生み出す薬害―

米澤鐡志(よねざわ・てつし)

1934年広島生まれ。11歳のとき、爆心から750メートルの満員電車内で被爆。
奇跡的に助かり、中学生のころから反核運動・反戦平和運動に参加。
55年第1回原水爆禁止世界大会に参加。以降毎年参加している。
58年立命館大学に入学、安保闘争を指導。
85年宇治平和の会設立に参加。
60年安保のころから小中学校をはじめ各地で被爆体験講話を行っている。
現在、京都府宇治市在住。

発行所は
アジェンダ・プロジェクト
〒601-8022
京都市南区東九条北松ノ木町37-7
℡&Fax 075-822-5035
E-mail agenda@tc4.so-net.ne.jp
URL http://www3.to/agenda/
FB https://www.facebook.com/agenda.project

2018年6月21日木曜日

三井三池出身で、大牟田・荒尾の風景を描き続けた江上茂雄さんの絵を紹介したブログがありました。


江上茂雄さんの絵を紹介したブログです。

http://egamishigeoten.blogspot.com/2013/10/5-roadsiders-weekly-20131002vol.html
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これまでたくさんの取材を通して、たくさんのお年寄りと出会ってきた。ものすごいお金持ちもいれば、ものすごい貧乏人もいた。見るからにハッピーなひとも、哀しいひともいた。そうして思い至ったのは、前にも書いたかもしれないが、人生の「勝ち組」と「負け組」というのはけっきょく、財産でも名声でもなんでもない、死ぬ5秒前に「あ~、おもしろかった」と言えるかどうかだという、単純な真実だった。どんなにカネや部下や大家族や奴隷に囲まれても、「ほんとは音楽やりたかったのに」とか「絵を描いてたかった」とか、最後の瞬間に頭に浮かんでしまったら、それは「負けの人生」だ。

僕らはいつも美術館に、「いい作品」を見に行く。でも今回は、そうでなくてもいい。そこにあるのは、もちろんいい作品でもあるけれど、それ以上に静かに輝く「いい人生」なのだから

2018年6月14日木曜日

三井三池出身の画家、江上茂雄さんの展覧会「江上茂雄風景日記」(5月26日から7月8日、武蔵野市立吉祥寺美術館)のご案内

三井三池出身の画家、江上茂雄さんの展覧会「江上茂雄風景日記」(5月26日から7月8日、武蔵野市吉祥寺美術館)のご案内

 知人から江上さんの展覧会の案内パンフと招待券が送られてきた。
私の郷土の荒尾にこのような画家がおられるとは知らなかった。どうして東京・吉祥寺なのだろうか。
 三池炭鉱でにぎわった大牟田・荒尾地区には、ユニークな人たちがたくさん暮らしていた、と改めて思い知らされた。

パンフの紹介によると
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  1912(明治45)年に福岡県山門郡瀬高町(現在の福岡県みやま市)に生まれた江上茂雄は、幼い頃から突出した絵画技量を発揮しながらも、12歳になる年に父を亡くすという家庭環境のもと専門教育課程への進学は望まれず、高等小学校卒業後15歳で三井三池鉱業所建築設計課に就職する。
 以後、会社勤めの収入により母・妻と4人の子の生活を支えるかたわら、「画家として生きる」という少年時代の決意を貫き、独学でクレパスークレヨンによる表現を極めていく。
 1972(昭和47)年の定年退職後は、それまで暮らした大牟田から隣接する熊本県・荒尾に転居し、度重なる眼病や脳血栓を克服後、1979(昭和54)年から2009(平成21)年頃までの約30年もの間、正月と台風の日を除く毎日、水彩画の道具を担ぎ徒歩で自宅を出発し、その日の制作地を探し当て、1日1枚、戸外で写生による風景画を仕上げるという生活を続けた。
 そして、2014(平成26)年2月、2万点以上に及ぶ絵を荒尾の自宅に残し、101歳でその生涯を閉じた。
 遠く離れた場所で芽吹く美術の最新動向を常に意識しながらも、自分が生まれた土地を離れることなく、誰に教えを乞うこともせずに、制作者としての己と向き合い続けた江上茂雄。約400点の作品により都内で初めてこの大を紹介する本展では、とりわけ、江上が青年期から描き続けた大牟田周辺、そして定年後に毎日描いた荒尾の《風景画》に焦点を当てている。
 それらは、日々、そばに寄り添う自然と対話し続けた江上の足あとをたどるものであり、土地の人々が「路傍の画家」・江上茂雄を目撃した場と時の記録であり、さらには、絵の前に立つ誰かが、自らの過去の記憶に触れずにはいられなくなる風景でもある。
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