2015年11月29日日曜日

「ひろちか先生に学ぶ こよみの学校」

(お送りいただいた本から)

「ひろちか先生に学ぶ こよみの学校」
 中牧弘允著

 「こよみの学校」とは、昔からある暦について、暦法のちがい、行事のいわれ、流通するカレンダーの話題などを取り上げて、紹介している暦情報サイト「暦生活」内のコラム。

 中牧さんは国立民族学博物館在職中から世界のカレンダーの収集と、現地調査を重ね、暦にまつわるさまざまな話題を興味深く紹介している。

 その数は約80か国、1500点に及び、日本カレンダー歴文化振興協会(暦文協)の設立(2011年)にもかかわったそうです。

 この本は、「新日本カレンダー」のホームページの連載コラム
http://www.543life.com/campus.html
 の2年分を再編集して、収められています。

著者紹介
日本カレンダー暦文化振興協会 理事長
中牧 弘允
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

2015年11月28日土曜日

「歌」の精神史

(お送りいただいた本から)

「歌」の精神史
山折哲雄 著

 2006年8月に中公叢書として刊行されたものが、このほど文庫となった。
文庫版のあとがきに
「あらためて、この国では一年が、正月の「歌会始」ではじまり、年末の「紅白歌合戦」で暮れる年中行事のくり返しで運行されていることを思わないわけにはいかない。「歌」はいぜんとして時代を映し出す鏡、時代の「精神」を照らし出す光源でありつづけている」
とある。
 冒頭の第一章「空を飛ばなくなった歌ー美空ひばりと尾崎豊」など、情感あふれる文章に改めて魅了させられた。

日本の伝統的詩歌と歌謡に底流する生命の昂揚感と無常観。万葉以来の生命のリズムであり、魂の躍動を促す叙情の復権を説く力作論考。

内容(「BOOK」データベースより)
いま、叙情が危ない。われわれのこころの世界が乾き、叙情を受け容れる器が水漏れをおこしているのではないか。叙情とは、万葉以来の生命のリズムのことだ。日常の言葉を詩の形に結晶させる泉のことだ。それが危機に瀕しているのは、歌の調べが固有のリズムを喪失しているからだ。いまこそ、「歌」の精神を取り戻すときではないか。


文庫: 257ページ
出版社: 中央公論新社 (2015/11/21)
言語: 日本語
ISBN-10: 4122061989
ISBN-13: 978-4122061989
発売日: 2015/11/21

2015年11月21日土曜日

むのたけじ講演会in京都

100歳のジャーナリスト、むのたけじさんの講演会を聞く。



京都・東本願寺での講演。
あと一か月で101歳になるというむのさん。手をふりかざし、熱っぽく語る姿に圧倒される。

お話は、秋田の農家で生まれ、中学への進学ができたのは、近くの真宗のお寺の僧侶の一言だったこと。
そして東京外語大学への進学も、中学の教師の母校で、多くの人に支えられて学び続けることができたこと。
100歳までの人生を振り返りながら、平和の大切さを渾身の力を振り絞って訴えていた。

2015年11月18日水曜日

元喫茶店「獨木舟」店主、田中元三さん逝去の知らせ。

元喫茶店「獨木舟」店主、田中元三さん逝去の知らせが届く。

阪神尼崎駅南側にあった喫茶店「獨木舟」店主、田中元三さんが10月30日、83歳にて急逝された、と田中さんの家族から手紙が届いた。

田中さんが生前に準備していた<お別れの言葉>を添えて。
そこには、田中さんの生涯愛していた詩人、伊東静雄の詩「曠野の歌」の「わが死せむ美しき日のために」が引用され、感謝の言葉が述べられていた。
 喫茶店の名前「獨木舟」も伊東静雄の詩からとり、伝票にもその詩が書かれていた。

この喫茶店には1973年、毎日新聞阪神支局に赴任して新聞記者1年生のとき、一人でよく通ったものだ。尼崎の警察周りをしながら、夕暮れとき、入り口近くのカウンターに座り込んでは、新米の記者としていろいろ取材して驚いたことなどを勝手にしゃべり、、田中さんはサイフォンコーヒーをかき混ぜながらにこやかにうなづきながら、聞いてくれた。

それからあちこち転々し、2007年にぶらりと店を訪れると、「本当におひさしぶりですね」とうれしそうに迎えてくれた。あれから34年も経っているのに、私のことをしっかりと覚えてくれていたのだ。そして「でも、駅前再開発にかかり、店は来年閉めます」という。とても残念そうだった。

詩の朗読会などが開かれ、文学サロンとしてさまざまな人たちの交流の場にもなっていたのだ。その後、田中さんは伊東静雄や佐伯祐三らに寄せた静謐で、美しい文章で綴られた随想などを送っていただき、それにはいつも「厳しい批評を」という言葉が添えられていた。

先日ふと田中さんのことを思い出し、私がこの夏に亡くなった沖浦和光さんの追想記を小冊子にして送付したところ、田中さんの家族から訃報を知らされたのだ。手紙には、腎臓の悪性リンパ腫を患って死を迎える田中さんの姿が詳細に書かれていた。どこか不思議な縁を感じざるをえない。合掌。







2015年11月13日金曜日

【年表】 子どもの事件 1945-2015

(お送りいただいた本から)

沖浦和光さんを偲ぶ会で、ひさしぶりにお会いした市民活動家の山本健治さんからお送りいただいた。
山本さんとは、私が1980年代初め、毎日新聞社高槻駐在をしていたころから親しくさせていただき、いろんな情報を教えてもらい、たくさんの刺激を受けた人だ。
本には「子どもたちの置かれている状況を憂いつつ、少しでも良くなること願いつつ」という寄せ書きがありました。


【年表】 子どもの事件 1945-2015
著者山本 健治 【著】

出版社柘植書房新社
発売日
2015年11月
発行形態単行本 ISBN9784806806790
税込価格3,240円

目次

第1期 1945〜51年 敗戦による混乱と価値観崩壊、貧困と不足・不満の時代—道徳・倫理の崩壊、生きんがための犯罪、夢も希望もない自暴自棄の犯罪

第2期 1952〜64年 復興から経済成長、渇望から欲望の実現と不満の爆発—練鑑ブルースから暴力教室、カミナリ族から暴走族へ、不良少年が非行少年に

第3期 1965〜83年 いざなぎ景気から石油危機、安定成長への転換が不安の時代—ベビーブーム世代が大人になり戦後第2の子捨て・子殺し時代に。その子は親殺し

第4期 1984〜97年 安定成長・構造転換からバブル経済、そして破綻・長期不況—鬱屈時代が生み出す残虐不可解殺人、大人社会のイジメが子どもの世界でも

第5期 1998〜2010年 バブル破綻不況に、リーマンショックが追い打ち—生活保護世帯・無職男性・ワーキングプアーの増加と子どもへの虐待・DV問題化

第6期 2011〜15年 政権交代幻想の破綻、東北大震災、政権は元に戻ったものの新たな不安—減らない子どもに対する虐待、再び増えているイジメ・不登校、そして引きこもり

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

山本/健治
1943(昭和18)年大阪生まれ。1966(昭和41)年立命館大学法学部卒業後、大阪読売広告社、村田製作所勤務。1975~83(昭和50~58)年高槻市議。1983~87(昭和58~62)年大阪府議。市民派地方議員として活動した後、著述業に転じ、夕刊紙・経済誌等に記事を発表し単行本も発行していた一方で、みんなで保育所をつくり、その社会福祉法人理事として、子どもをめぐる問題に関わってきた。同時に環境問題の市民運動の世話役としても活動してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

2015年11月8日日曜日

☆「【大阪発】アカンで、日本!―理工系にとっての戦争―」


☆「【大阪発】アカンで、日本!―理工系にとっての戦争―」
11月7日(土)13:30開場、14:00開演
場所:御堂会館・南館5階ホール
大阪市中央区久太郎町4-1-11
講師 山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)
 「日本の科学技術―理工系にとっての戦争」
講師 白井 聡(政治学者、京都精華大学専任講師)
 「ネオリベラリズムと反知性主義」
参加費:1500円
◎参加ご希望の方は、「参加お申し込み」ページ(公式ホームページ http://yamazakiproject.com/内)からお願いします。(定員になり次第、締め切りとさせていただきます)
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト大阪事務局
北本法律事務所内 FAX: 06-6365-0009
公式ホームページ http://yamazakiproject.com/
E-mail monument108@gmail.com
協賛:一般社団法人 大阪自由大学(Osaka Freedom University)


2015年11月3日火曜日

沖浦さんを偲ぶ会

しのぶ会:民俗学者の沖浦和光さん 大阪で300人が送る

毎日新聞 2015年11月04日 20時55分(最終更新 11月04日 22時46分)

今年7月に亡くなった桃山学院大名誉教授、沖浦和光さんをしのぶ会。中学教諭時代の教え子でタレントのなべおさみさんが思い出を語った=大阪市港区のホテル大阪ベイタワーで2015年11月3日、中村美奈子撮影
今年7月に亡くなった桃山学院大名誉教授、沖浦和光さんをしのぶ会。中学教諭時代の教え子でタレントのなべおさみさんが思い出を語った=大阪市港区のホテル大阪ベイタワーで2015年11月3日、中村美奈子撮影

 聞き取り調査を通じて被差別民の歴史を発掘した民俗学者で、今年7月に88歳で亡くなった沖浦和光(かずてる)さんをしのぶ会が3日、大阪市港区のホテルで開かれた。約300人が出席し、故人の足跡に思いをはせた。
 沖浦さんは東京都大田区立中学での英語教諭を経て桃山学院大教授、同学長を務めた。被差別部落の住民や海や山で暮らす漂泊民に会い、生活や文化、芸能について聞き取るフィールドワークを重視した。研究で何度も通ったインドネシアの海に今年8月散骨され、会場では沖浦さんの講演風景や散骨の様子が映し出された。
 中学教諭時代の教え子だったタレントのなべおさみさんが、当時の思い出を披露した。「沖浦先生は野球部の先生で、部員に『ええなあ、キャッチングええぞ。キャッチャーって言うやろ、つかまえるっちゅうことや』と温かく話しかけ、何の変哲もない選手が名選手に変わった。試合は負け知らずになり、私たちは沖浦先生のたなごころに踊らされていた孫悟空でした」と懐かしんだ。【中村美奈子/デジタル報道センター】