
田中さんが生前に準備していた<お別れの言葉>を添えて。
そこには、田中さんの生涯愛していた詩人、伊東静雄の詩「曠野の歌」の「わが死せむ美しき日のために」が引用され、感謝の言葉が述べられていた。
喫茶店の名前「獨木舟」も伊東静雄の詩からとり、伝票にもその詩が書かれていた。


詩の朗読会などが開かれ、文学サロンとしてさまざまな人たちの交流の場にもなっていたのだ。その後、田中さんは伊東静雄や佐伯祐三らに寄せた静謐で、美しい文章で綴られた随想などを送っていただき、それにはいつも「厳しい批評を」という言葉が添えられていた。
先日ふと田中さんのことを思い出し、私がこの夏に亡くなった沖浦和光さんの追想記を小冊子にして送付したところ、田中さんの家族から訃報を知らされたのだ。手紙には、腎臓の悪性リンパ腫を患って死を迎える田中さんの姿が詳細に書かれていた。どこか不思議な縁を感じざるをえない。合掌。
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