(50年前の今日)1968年1月4日の日録から。
沖縄にて。
・沖縄に来るとき船中で知り合った名古屋の中山さん(確かトヨ・ストーブに勤務していた)と合流し、国際通りで買い物をした。
・その後、叔父(竹原巌さん)の戦友だった琉球銀行支店長の中村さんに挨拶に行き、中山さんといっしょに昼食をご馳走になる。
・午後、那覇の港から船に乗り込む。多くの人が見送りにきていて、たくさんの鮮やかな紙テープが波打ち、乗客との間をつないでいた。「沖縄を返せ」の合唱が流れ、いろんな団体間でマイクによる挨拶の声が響き渡っていた。ある中学生は日の丸の旗を振っていた。
ぼんやりと見送りの人たちをデッキで眺めていると、岸壁の最前列で、しきりに手を振り、「自分の胸を指して、僕だよ、僕だよ!」と言っている人がいた。
旅の途中、「泊めてもらおう」と突然、飛び込んでいった真和志中学校の先生だった。その夜、先生たちの忘年会をやっていて、見ず知らずの私の歓迎会に切り替えてくれたひとだ。
船の別れは、惜別の情を駆り立てる。あの時の光景は忘れられない。
(下の写真は、真和志中学校の宿直室にて)
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