2015年12月19日土曜日

西原大輔詩集「詩物語」


(お送りいただいた本から)

 広島大学教授の西原大輔さんから送られてきた。前回の倉本修「美しい動物園」と同じ出版社「七月堂」の新刊で、ちょっとびっくり。
 西原さんは、10数年前、国際日本文化研究センターの共同研究会の懇談会で出会って以来、新刊がでれば、お送りいただいている。ありがとうございます。
 (以下、出版社の紹介文から)

詩物語
西原大輔

詩を書いた。その心境も

詩の後に詩人のエッセイが書いてある。詩を書いたその心の内を明かすとは、なんとも大胆。しかしこれは著者曰く古来よりの由緒あるスタイルである。
自由に詩を作ったと言いながらも、独自のスタイルは崩さない著者の‘粋’な詩集だ。

 『詩物語(しものがたり)』という書名は、平安時代の歌物語(うたものがたり)から発想しました。『伊勢物語』『大和物語』『平中物語』では、和歌と短い文章が一体となっています。実在した人物について語られることも多く、一種の伝記のような性格を持ちます。

  短歌に詞(ことば)が加わり、韻文と散文が融合した抒情的作品。『詩物語』は、そのような詩文交響の世界を意識しつつ作ったものです。歌物語では、定型三十一文字が鍵ですが、本書では、主として自由律詩が中心となっています。
 通常、詩集に掲載されるのは、詩作品だけです。私はそのような本を手にしつつ、詩人自身による解説が添えられていたら、と思うことがしばしばあります。詩とエッセイを並べた『詩物語』では、詩が文を引き立たせ、文が詩を補うものとなるよう心がけました。(「はじめに」より)

  うれしい黄昏

なんてやさしい黄昏だ/ひとり窓辺にくつろげば/網戸から良い風が来る/蜩があわれを歌う/家々に明かりが点る/夜空には星が瞬く……/風が心を撫でてゆく/うれしい孤独の黄昏だ

 日常のふとした瞬間に、目の前の景色がどこか遠い異郷の光景に見えてくることがある。いつもの場所にいるはずなのに、自分がまるで見知らぬ土地に迷い込んだかのような錯覚。ある夏の晩、僕は広島大学の研究室から外を眺めながら、気の遠くなるような、不思議な感覚を味わっていた。

詩 左頁:エッセイ

詩集
2015/11/30発行
四六判 上製・箱付
3,240円(税込)

2015年12月18日金曜日

「美しい動物園」


(お送りいただいた本から)

 先日、大阪・空堀の居酒屋で、倉本修さんとばったり出会った。20年ぶりの再会になるだろうか。
実は、私の最初の著作「理想のゆくえ」の装幀をしていただいた方です。
 のちほど、この本が送られてきたが、素敵な装幀の魅惑的な本だ。(以下、出版社の紹介文から)



美しい動物園
文・挿画:倉本修
「絵と文」による幻想譚
ようこそ、美しくも奇妙な動物園へ。

表紙絵から既に不可思議な胸騒ぎを覚える。本を開くとまず眼に入る岩のような遊び紙、続く扉も凹凸感がある。そして始まるこの「絵と文」による幻想譚。そこで気づく、読者は岩山や砂漠を越えて〈ユルムチ〉という奇妙な土地にやって来たのだと。文によって体験される絵の中の世界は荒涼で殺伐としており、現実とは違う法則性に満ち、危険であり、とびきり魅力的だ。

檻の前に立つとわたしはフェルトンに聞いた。そんなに腹が空いたのか。餌に限りがあるのにいったいどれだけ喰えばたりるのだ?
……おれは生命ある限り喰い尽くさなければならないとフェルトンは言った。それが自分の進むべき道だとも言った。
なぁあんた腹は空かないかい? 今度はフェルトンが聞く。おれには風に揺れる樹々のざわめきや鳥のさえずりでさえ「喰え」と言っているように聞こえる。これはお互いの生命にかかわることだから言うがおれはあんたをどうしても喰いたい。その出っ張った腹や脂ののった太い腕。さぞ旨かろう。この檻はいずれ壊れるに違いない。おれの身体はどんどん大きくなっていくからだ。(「美しい動物園」―[felton]より)

幻想譚
2015/05/11発行
四六 小口折

栞(20頁)付 装丁:常松靖史 組版:TUNE
1,620円(税込)