2020年9月17日木曜日

(いただいた本から)『父がいた、母がいた。お茶の間があったー郊外に咲いた一輪の家族史』

 『父がいた、母がいた。お茶の間があったー郊外に咲いた一輪の家族史』

島元健作・恵子、雄一編著(非売品)


 「父がいた、母がいた、兄・妹・弟がいた、一家団欒のお茶の間があった。犬がいた。テレビややってきた。蔵書もずいぶんとあった。歌合戦から熱い政治談議までが毎晩繰り広げられたいた。都市郊外にたくさん咲いていたそんな家族の生活史のなかに、現代ではすでに復元しづらくなっている人間と社会の大切な原基が見える」(表紙裏の紹介文から)

 京都の「書砦・梁山泊」の主人、島元健作さんの家族史です。「普遍を伝える家族史」と題してノンフィクション作家の後藤正治さんが跋文を寄せています。



 




2020年9月12日土曜日

(いただいた本から)『吉本隆明と「二つの敗戦」-近代の敗北と超克ー』(新装増補版)

 『吉本隆明と「二つの敗戦」-近代の敗北と超克ー』

とよたもとゆき著

“戦後最大の思想家”と呼ばれる吉本隆明。しかし、晩年の彼は明らかに引き裂かれていた。

彼は「二つの敗戦」を体験している。

ひとつは、二十歳のときに、太平洋戦争の敗戦。この「第一の敗戦」は、近代戦争のなかでの敗戦だった。

もうひとつは、晩年の今世紀初頭に迎えた敗戦。貧困、格差社会、親の子殺し、子の親殺し、集団自殺、心の病い……彼は時代の病いを鋭く受けとめ、「第二の敗戦期」と呼んだ。福島第一原発の事故がこれに追いうちをかけた。それは、近現代の敗戦にほかならない。

そして晩年、意外な慨嘆を率直に遺した。

いったい、彼に何が起こっていたのか。

その「引き裂かれ」を直視し、遺言(「存在の倫理」)を真摯に受けとめることが、「第二の敗戦」(近現代の敗戦)から歩みを前に進める前提になるはずだ。


~本書は、2013年刊『吉本隆明と「二つの敗戦」』(脈発行所刊)が絶版品切れのための[新装増補版]~


○青春時代の不気味な予言

○谷中銀座の庶民・吉本隆明

○「大衆の原像」というOSとその危機

○「関係の絶対性」と「観念の相対性」

○原発と「科学の進歩」

○ハイ・イメージ論とインターネット

○ハイデガーと吉本の技術論

○「史観の拡張」は実を結んだか

○晩年漏らした率直で意外な慨嘆

○「存在の倫理」と贈与


【今回の新装増補版への追補原稿類】

「吉本隆明と小林秀雄」

「谷川雁と吉本隆明」

モノクロ写真(谷中銀座、初音小路)


【目次】

新装増補版 はしがき

序 「二つの敗戦」に直面して

1 「第一の敗戦」でつかんだこと

2 なぜ「反・脱原発」を批判したのか

3 軋みと危機

4 「第二の敗戦」で問われていること

5 「存在の倫理」から「贈与存在の倫理」へ

[補]谷川雁と吉本隆明

[補]吉本隆明と小林秀雄

新装増補版 あとがき

[資料]吉本隆明の言葉と略年譜